・かけがえのない青春の日々
本書は「音楽について考えることは、将来について考えることよりずっと大事」な高校3年生アザミを主人公としたポップでキュートな青春小説である。作中で登場人物が実在のバンドを評しており、エモーショナル・ハードコアなどの分野が好きな人にも薦められる一冊である。
高校3年生と言えば進路について真剣に考えなければいけない時期である。しかし、アザミはやりたいことが見付からず、考えようとする意欲も湧かず、好きな洋楽(ロック)を聴いてばかりという毎日である。
音楽でなくても、小説だったり、漫画だったり、映画だったりと対象は様々であるが、受験勉強をしなければならないのに趣味に没頭してしまう経験は多くの人にあった筈である。やりたいことと、やらなければいけないと周囲から言われていることの乖離や、周囲から取り残されることへの焦燥感は世代を超えて共感を得られるだろう。
一方で現代の高校生世代に特有の要素もある。インターネットや携帯電話など情報技術の発達である。本書でも音楽の趣味を共有するアザミはアメリカの少女アニーのブログを読み、英文メールでやり取りしている。
アザミの聴く洋楽は同級生では聴く人が少ないマニアックな部類に属するが、インターネットを通すことで、地域的な壁を越えて、趣味や感性を同じくする人とコミュニケーションできる。これが人間関係・交友関係の限定されていたインターネット普及以前とは大きな相違である。「今の子どもは理解できない」という類の言説を聞くことがあるが、子どもの世界はITの発達で拡大しており、昔の感覚では理解できなくて当然である。
アザミはアニーのブログでアニーの友人の溺死を知って大きな衝撃を受ける。布団を頭から被ってしまい、何をしたのか、いつ眠ったのかも覚えていないほどの衝撃であった。リアルで接している家族や友人はアザミの変貌は理解できない筈である。子どもが理解できないと嘆くよりも、インターネットを通じて異なる世界にも生きているという点を理解することから始めるべきである。
物語の縦糸がロックならば、横糸は同級生チユキとの友情である。二人は同級生を傷つけた男子生徒に報復する。後に露見しそうになった時、アザミは最後までチユキを庇おうとする。何故、そのようなことをしたのか本人が後で考えても分からないという本能的な正義感からの行動であった。
大切なものが傷つけられたために抱く激しい憎しみ。たとえ自分が不利になったとしても、信念を貫くために戦う正義感。これはまさに青春である。記者(=林田)はマンションのだまし売り被害に遭い、売り主の東急不動産(販売代理:東急リバブル)と徹底的に争った経験がある(参照:「東急不動産の遅過ぎたお詫び」)。
故に純粋な正義感に基づいた真っ直ぐな怒りには共鳴するし、二人の友情が羨ましくもある。本書は無意味に浪費しているようでいて、懐かしく愛おしい、かけがえのない青春の日々を生き生きと描いた作品である
・至極まっとうにかけがえのない日々
本当にそんな感じでした。
文章も、物語も、普通であることが輝きを放っています。
メール送信のくだりとか大好きです。
・まさにミュージック・ブレス・ユー
鳥肌が立つほどぐわっとくるシーンがありました。
全体としてはまぁそれなりに上手に人間を描き出す人だなぁと思って読んでいましたが、まさに、ミュージック・ブレス・ユー!! なシーンがあります。
びっくりしました。さくさく読めるし、おすすめです。
・ミュージック・ブレス・ミー
アザミは、多分小学生の時にアスペルガー障害の疑いありとでも言われたのだろう。だが、「普通」や「標準」なんてどこにもないように、アザミはただアザミだ。アザミの通う高校は、周りのみんなが当たり前のように四年制大学に現役合格してしまうことから、地方の進学校らしい。
常にイヤフォンをつけ、マイナーなアメリカン・パンクを聴くアザミよ、その鎧は君をこれからもずっと励まし続けてくれるよ。音楽の話なんか誰とも合わないし、バンドなんてもう絶対にメンバーと嗜好が合わない。でも自分に大切な物があるということは、とても重要なことだ。私はトノムラだった。だから保証する。音楽はずっと君を勇気づける。音楽は君を祝福し続ける。
津村さんのこの小説は、オチもないしカタルシスも事件もないが、夢中になって読んだ。高校生が主人公だが、高校生の親くらいの年代だとグッとくる読み応えだ。私は小説の主人公の名にあまり意味を見いださない方だが、アザミはいい。とげとげした葉っぱ、一人だけやけに背の高い立ち姿、遠くからでも目立つ紫の野花。
・「ほんなら、またね」
アザミ。高校3年生。「音楽について考えることは、将来について考えることより
ずっと大事」な日々を送っている。
髪は赤。メガネ。歯にはカラフルなゴムをはめた矯正器(もっともこれは、歯科医の強烈な
色彩のセンスといおうか。こんな歯科医がいたら楽しい!)。
背は高く、いつでもイヤホンを耳に突っこんでパンクロック三昧の女の子だ。
そんなアザミのおよそ半年ほどの軌跡。
どこへも踏み出せないまま、音楽に浸り、焦燥感もちらつかせながら
学校とバイトに紛れてゆくぐだぐだした日常。
大阪弁がリアルで、何気ない会話が活きている。
全部、日常のこまごました事象であり、心の動きであるのに
ああ、どうしてこうも胸に突きささるのか。忘れ去られてしまう、一瞬の出来事と
それに付随する思いを、こんなにも丁寧にそしてリアルになぞって、それが
読み手のなかに陰翳に富んだ軌跡を遺すのだ。
自分と他の友人との違いをアザミはゆっくり見つめる。
親友チユキの恋の行方、同級生のナツメさんやトノムラとの関わり、時々メールをやりとりするイギリスの女の子アニーなど、それぞれのエピソードがアザミ自身を
逆照射するものになり得ていて、読み飽きない。
チユキという子の知的なくせに、妙に熱い血を滾らせた小気味よい正義感は
忘れがたい。
もうひとつ、一見放任のようにみえる両親とアザミとの関わり方が印象的。
明らかにされてはいないが、どうやら学習障害と診断されるような行動癖があったことが
ちらりと出てくるのだが、両親の、アザミが元気で今在るだけで充分良し、とする
スタンスがいい。
そのただ中にあるときには決して見えない輝きを掬いとって、青春という
時間の無二の姿が、今の私には尊くさえ思えた。