・ハッピーエンドでもありバッドエンド
物語はハッピーエンドで終わった。だけど、バッドエンドだった。
戯言シリーズはここに完結。ハッピーエンドで完結しました。おめでとう、やっぱりバッドエンドよりハッピーエンドの方がよっぽど良い。
なんて、そう簡単にハッピーエンドになるとでも?
これはバッドエンドだよ。
ここにきて、最後の最後に俺達の期待を裏切るような西尾維新じゃあ、ない。
俺達にとってのハッピーエンド、つまりバッドエンド。物語がバッドエンドなら俺達はハッピーエンドで終わっていた。
物語がハッピーエンド、つまり俺達にとってはバッドエンド。
おめでとう、西尾維新は最後に俺達をバッドエンドにしやがった。
アトガキに『あなたの心には、何が残りましたか?』という一文。俺達は心に何かが残った。それは戯言遣いの心に残っていた青色サヴァンのように。この、心に残っているものがなくなるまで、俺達には
ハッピーエンドはない。
・360°回って”アリ”
確かに僕も、この戯言シリーズがこのような円満なハッピーエンドを迎えたことには、最初は非常に驚きました。
なぜなら、こういった「世界系」の作品ってのは、エヴァにしたって、クロスチャンネルにしたって、大概がバッドエンドだったり、あるいは良いとも悪いとも判別付けがたい抽象的で曖昧な――それこそ戯言のような終末に至るのが定番だから。
でも、だからこそ、そういった斜に構えた「定番」の、さらにその斜め上を行く「ハッピーエンド」を選択した西尾維新、僕は本気で凄いと思いました。
あとがきの通り、ハッピーエンドが嫌いだから世界系を描き、その世界系の殻を破る為に、敢えて誰も想定しなかったハッピーエンドを描く。
それを短絡でもなく、短慮でもなく、適当でもなく、丁寧に時間をかけて確信的に表現しきる発想と能力を持っていたからこそ、数多あるラノベ、世界系の中で、西尾維新は一歩、抜きん出ることができたんじゃないかと思います。
これだけ一周360°回って“あり”だと思った結末は、東京大学物語の「妄想エンド」以来。
通常のマンガや小説をなら、いくらでも盛り上がる展開を幾度となく作りながら、その全てをことごとく“砂山を崩すように”呆気なく倒壊させながら進んでいるストーリーってのも、僕的には、かつてなく斬新だったんだけどなぁ。。。
一つ個人的に気になるのは、この作品について☆1つとかの評価を下しているレビュアーさん達が、いったいどんな視点でその点数をつけているのかってこと。
単に180°の視点から、「つまらないハッピーエンドものになってしまった」と失望しているのか。
それとも540°の視点から、「意表を突いたハッピーエンドではあったが、それを描ききる為のスキルが不足している」と叱咤しているのか。
例え口上で同じようにハッピーエンドを批判していても、その真意により全く意味は異なってくると僕は思います。
・"終幕"が最大にして最悪の蛇足
西尾維新はあとがきで「パッピーエンドはどれも信じられない」と語っている。
ではこの作品の最後は一体何なんだろう? これ以上という事のない最高のハッピーエンドである。戯言シリーズがこんなカタチで終わるとは思わなかった。
こんなメンドクサイ説教みたいな本を10冊も読むような読者が、あんなエンディングで
到底、満足するとは思えない。
最後の最後で"西尾維新"でなくなってしまったのが悲しい。
・なんだかんだ酷評するけど、普通に面白いよ
この本を初めて読んだのは中三の時だった気がしますが、あの時はマジで面白い!俺の人生を通してこれより面白いシリーズに会う事なんて絶対ない!などと恥ずかしーことを思いました。いや、恥ずかしーというより青くせーな。
しかし、最近彼女が戯言にハマったので僕も久しぶりに読んでみると、すげえシラけました。ありゃ、こんなもんだったかなー?と、首を傾げた程です。
まああの頃から比べると異常なぐらい色んな本を読みましたからね。評価も変わるってもんでしょう。
別に僕は過去に関する伏線を全回収しなかったことについては何も思いません。でもまあせめて玖渚に関する事だけは書いても良かったんじゃないかなーと思いました。中巻ぐらいで。
そうすりゃ、下巻の冒頭の玖渚との決別はサイコーだっただろうに。
逆に主人公の名前とかは出さなくて正解だったでしょうね。そんな気がします。
多分中学生の時の僕が超ハマったのは、いーちゃんみたいな陰のある特別な人生に憧れてたからでしょうね。
まあ話としてはシラけるぐらい綺麗に纏めてあるから、普通に面白い。
・ここが西尾維新の分岐点だった。そして西尾維新はラノベ作家になることを選んだ。
「自分が作家となった意味がこのシリーズにはある」
と作者本人が語っていた西尾維新の代表作「戯言シリーズ」の最終巻。
だが、前作ヒトクイマジカルまでに見られる溢れる様な才能の奔流はもはや殆ど残っていない。これまで思わせぶりに散りばめて来た伏線を何一つ解決することなく、かと言って物語をよりドラマチックで見逃せない展開に発展させることもなく、ただだらだらと書き流されたかのようなストーリー。
適当なおためごかしでページ数を稼ぎ、有耶無耶のままに物語を閉じてしまう様はまさに戯言なのだろうが、最後の最後になってこんな終わり方というのは大半の読者を辟易させたことだろう。
「クビキリサイクル」で発揮した本格ミステリスピリット、
「クビシメロマンチスト」を三日で書き上げたという創作への情熱、
「サイコロジカル」で見せた主人公いーちゃん(そして作者自身にも重なるような)の痛々しいまでの切実さ、
そうした各作品にこめられた「情熱」とでもいうべきものがこの作品からはまったくといっていいほど感じられない。
まさにこの作品こそが、西尾維新がここから先、小説に対してどう取り組んでいくかを決定付けたのだと思う。
そうして西尾維新は完全な(萌え)ラノベ作家になることを選んだ。
無論、「(萌え)ラノベ作家」を非難する気は毛頭ない。読者のニーズに合わせてキャラ萌えを書き、作品を連発する。それは誰にでも出来ることではない、素晴らしい才能である。
ただ私は、西尾維新がもっと他のベクトルへ才能を向けた作品を見てみたかった気がする。