Amazonカスタマーのレビュー
・現代小説のあるべき姿
純文学が日本の現在を描くことは、ありそうであまりない。ネット社会の現実取り込もうとするとアホらしい小説になってしまいがちなところ、さすが平野啓一郎!ジジイ作家はたぶん理解が及ばないところもわかった上で、知的レベルが高く、読むに値する、馬鹿馬鹿しくない作品になっている。
エンタメ/ミステリとして見るとそもそものプロットにも強引な展開にも難があり過ぎ、エンタメ寄りの物語にしてしまったため、純文学としても?なことになってしまっているものの、この野心作はかなりの成功を収めたと言っていいのではなかろうか。
・コインロッカー・ベイビーズを彷彿とさせる純文学
多くの方の評にあるのが、その時代の先取り。いじめ・引きこもり・無差別殺人など、この作品を追うかのように現代は進んでいる。シンクロニシティという言葉が非常に合う。本屋によってはミステリーかのように売っているところもあるが、純粋な純文学。作者もその派手なプロフィールばかりが取り上げられているが、その筆力は圧倒的である。家族の姿をさりげない言葉で描写し、心の不安も時代の不安も書いている。ただし「悪魔」の演説は、時代の闇を示すものであるが、まだ不足であった。共感するところが少ない。
・ドストエフスキー的興奮で、寝食忘れて読む
凄い。
ドストエフスキー没して百年余。ネットや映像等のメディア内では、誰もがラスコーリニコフになりうると同時に、誰もがラスコーリニコフを裁く判事となりうるし、イヴァン・カラマーゾフに殺人を示唆されたというスメルジャコフになりうる。そしてこの小説においては、スメルジャコフ的遺伝子をもち、スメルジャコフ的成育環境にあった者たちの復讐とも言うべき事態が起こる。
この小説の凄さは、ドストエフスキー的な対話を軸に、ネットやメディアに溢れる言説を本物そっくりに活写し、かつ登場人物ひとりひとりの血を、体温を、リアルに濃密に伝えてくることだ。
残虐な連続殺人に対して、メディアの新情報を今か今かと待ち、残虐な事実を知るたびに、やり場のない怒りを紋切型の喋りでしか表現できないもどかしさに腹立つ、という状況は、まるで現実そのもので、犯人の少年や家族の言葉は雑誌やテレビというメディアを通して、実在の事件そのものだ。そこに生身の少年がリアルに描かれることで、コメンテーターや教育者の正義の言説の空疎さが浮き彫りになってしまう。
殊に沢野一家の悲劇は、前半のリアルな一家団欒の描写を経て、痛ましく胸に迫り、はからずも平成のスタヴローギンとなってしまう沢野崇の造形は真に魅力的だ。
かなり前に同じ作者の「高瀬川」のレビューで「リアルな細部はおもしろいけど、急にエラソーな作者がカオ出すと興ざめ」と書いたけれど、平野啓一郎がここまでの構築力を持つに至るとは……不明を恥じる。ドストエフスキー以来のドストエフスキー的興奮で、寝食忘れて読んでしまった。
・分厚さに見合うだけのものを感じることができなかった
本の内容について賛否両論あるでしょうが、これほどまでの分量が必要だろうかと疑問を感じてしまった。特に会話については、ムダなものが多いと思えた。
恐らく、圧縮すれば一冊にまとまるはずだ。
それと本文中に新潮社の宣伝が出てくるのもいただけない。
新しい手法のCMなのだろうか?
2chからそのままコピペしたような話もつまらない。
・成熟を待つ
推理小説なのか、純文学の応用なのか、社会批評なのか、どのように読んでも読者の自由なのだろうが、この小説の場合は、いずれにしても生煮えの感が否めない。最初はアンチミステリーかとも思ったが、それには中井英夫『虚無への供物』という古典があり、その足元にも及ばない。犯罪に手を染める少年を生み出す現代的な家族への批評としては、スーザン・フォワード『毒になる親』などのノンフィクションが持つ迫真性と深みに欠ける。イラク戦争論の部分は興味深く読んだが、それでもトニー・ブレアの議会演説での参戦論には勝てない。作者によればこの小説は「ドストエフスキーの影響を受けている」そうだが、純文学を読むならドストエフスキーや、この作者の他の作品を読めばよい気もする。新しいタイプの小説の模索なのかもしれないが、完成品ではない。