・膨大な知識とすぐれた発想が両立した,中井氏の代表作。
中井久夫の代表作ともいえる3つの論文を,1つずつ3つの章に割り振った3章構成です。
第1章では,周囲の状況からかすかな兆候を嗅ぎ取る分裂病親和者の認知特性(微分回路的認知)が,狩猟採集時代を生き残るのに有利だったのではないか,という議論が展開されます。さらに,兆候の検出は異性の獲得にも有利に働いたのではないか,とも。そのため,分裂病を発現させうる遺伝子が今日に至るまで淘汰されず,人類の中に残っていると考察されます。近年流行している進化心理学や進化医学といった分野にも通低する発想で,今読んでも新鮮な内容です。
第2章では,古典的なうつ病の病前性格が日本社会においてどのように形成されたか,が考察されます。うつ病の病前性格論としての執着気質やメランコリーといった概念が,日本やドイツでのみ承認されていた理由はなぜか,この章を読んで納得です。
そして,歴史についての深く広い知識を駆使した第3章は,圧巻の一言。惜しむらくは,この第3章のみを取り出したみすずライブラリーの『西欧精神医学背景史』と比較して,図版などがいくつか削除されていることでしょうか。
・結局、中井久夫先生の才能の凄さはこの一冊に予見され、集約されている。
私の「座右の書」としての位置は今日まで揺るぎません。
・S親和者とは−「種」としての「人類」を牽引する「創造的な『表現者』」?
「分裂病親和者」(S親和者)という「人間類型」仮説。
S親和者の能力は「変化の予兆を把握し、将来発生するであろう状況に対して予防的働きをなす」ものとして有用だった。
現代人からすれば、さながら超能力のようなものであるが、過酷な氷河期のさ中、彼らはそうした能力を駆使して生き延びてきた…。時を経て、地球環境が温暖になり、農耕を生業にする人間が増えてゆく中、そうした能力は次第に使われることがなくなった。とは言え、こうした能力は、現代においても、アフリカやオーストラリアの原野、アラスカの雪氷地など過酷な環境下で生きる人たちの営為の中でいまだ存在意義を得ているのだ…と。
S親和者はどんな社会にも一定程度はいるが、マイノリティとならざるを得ない。彼らは、兆しを読むに当たり、往々にして過剰なほど「先取り」的な反応を起こしてしまい、そのコントロールを失ってしまうこともあるからである。それが、現代社会においては「統合失調症」などの疾患として分節化され、管理、排除されるべき対象となってしまう。いかな、医療や福祉、保健の概念なりが「精神障害」という形で援助の対象にしようとも、コアな存分において、こうした「狂気」を「世間」は許容しない。なぜなら「狂気」は社会の凝集性において危険をもたらすものでしかないと信じ込まれているからだ。
しかし、繰り返すようだが、S親和者は、未開社会においては、シャーマン、祭祀者、医者等リーダー的役割を担っており、ある意味で体系立った訓練を経ることで社会的認知を得ていたのである。そこのところは押さえておかねばなるまい。人類は、そうして「狂気」と馴れ合い、ともすると危うい妥協を繰り返しながら進化・発展を遂げてきた。
現代社会の八方塞がりな状況に対する希望は、もしかすると自らの外部に、あるいは内部にある「狂気」なるものを見据え、それとの調和を図る働きかけの過程にこそあるのではないか。
・もう一度読み返そう
もう「分裂病」と人に向かって言ってはいけないコトになった今こそ、読み返そう。
S親和者とは誰なのか。
あるいはこの社会がS親和的カノヨウナモノになった、今。
一方でソノコトを知っているそうではない人達による囲い込みが進む、今。
四半世紀前に書かれたこの本を読もう。
本はいつでも使われなければならない、はずだ。おかしな理由で買えなくなる前に。
☆10個。
・疾病がなぜ生き残るのか?
現代人が罹患する高血圧、糖尿病などの成人病、、、
なぜそのような病気になる体質が残ってきたのか。
それは、元来血圧が高い人は、闘争に有利などの条件を満たしたからである。
分裂病もその気質が残ったのは人類の生存に対して何か有益なものがあったからであろう。
そのような観点から中井氏の興味深い理論が展開されている。