・感覚的な「学校裏サイト」報道などへの批判にとどまる
著者は「学校裏サイト」に関する報道が偏見にみちていることをするどく批判する.いじめや危険が強調され,そのプラスの面をみていないという.そして,「学校裏サイト」の実態をただしくしめすためにいろいろな統計が引用されている.しかし,それらの統計は著者の議論をうらづけるにはよわい.また,ケータイを「教育の妨げ」とする議論を「「教える側」の能力や方法論の欠如」と批判している.しかし,ここでも感覚的な批判にとどまっている.もっと迫力のある数値にうらづけられた説得力のある議論をしないかぎり,現状をかえることはできないだろう.
・ネットと子供、を巡る問題を冷静に見た好著
ネットはいじめの温床。学校裏サイトは、匿名ゆえに誹謗中傷があふれている。そして、「子供を守れ」の言葉のもと、その規制が叫ばれる。しかし、本当に、いじめの温床なのか? 規制することで守られるのか?
最近、こういうテーマの書籍が多いが、その先駆けとなった『学校裏サイト』(下田博次著)辺りとかなり印象が異なる。
本書ではまず、「学校裏サイト」を巡る言説と、そこに多分に含まれる誤解・誇張を検証。続いて、実際の状況を利用者の声、さらに各種調査から検証する。そして、ネットいじめの構造を検証し、まとめる、という構成。
読んでいて感じるのは、非常に丁寧に論考されている、ということ。下田氏の著書では、かなり誇張などが多く「恐怖を煽る」表現がされており、また、ネットの存在のない時代との比較がないなどの問題がある。それらに対する批判なども実に納得のできるところである。
著者が訴える最大のメッセージは「ネットの人間関係は、現実の人間関係の延長線上にある」というもの。特に、学校勝手サイト(本書では、裏サイトではなく、勝手サイトと表記する)のようなものでは、その傾向が強い。また、その中でも、「キャラづけ」が重要な位置を占めている。そして、そのようなものを考察しないで、ただ、規制することで解決という現状の流れが極めて危ういことは言うとおりだろう。非常に納得のできる内容であった。
著者が認めるとおり、本書の中で示される各種調査は、サンプリングなどに偏りがあり、それをそのまま信用するのは難しいだろう。また、キャラづけの重要性という意味では、説明が不可欠なのだが、4章の説明の部分はちょっと長く、本題から外れているように感じたところはあった。
学校裏サイト、ネットいじめ、なんていうものを考察する際に、良いテキストになるのではないかと思う。
・この著者は問題点を整理し、論点をスマートにまとめたレポート作りが、とても上手!
「学校裏サイト=ネットいじめの温床」というバッシングに対し、荻上は「学校裏サイト」のほとんどが無害か、むしろ有益なものであり、「ネットいじめ」などは実はそれを使う人間と、彼らが置かれているコミュニティの問題だと論じる。ネットによりいじめが見えにくくなったという「俗説」に対しても、逆に従来から匿名性の高かったいじめが、ネットにより可視化されたのだと言う(p139)。
荻上によれば「学校裏サイト」に対する否定的イメージは、まず親世代のケータイリテラシーが低く、ケータイ世代を教育・指導する方法論を欠く点に由来する。しかしより根本的には社会における教育の位置変化、より大きくはコミュニケーション様式の変容に対し適切な対応がなされていないことが問題、とされる。
著者の処方箋は、まず冷静に現状をよく把握すること。その上でネットの特性を見極め、「学校裏サイト」などを本当に「裏化」させないために有効な対応法を模索すること。フィルタリングなどの処置については、親世代のリテラシーが低い間の「短期的な対症療法」(p240)としては認められるが、性急に法制化すれば、ネットにおけるコミュニケーションのノウハウが社会的に蓄積される機会を失うことになる。「『無菌状態』にするのではなく、『免疫化』『セーフティーネット』『風邪にかかりにくい環境』『事後対応』について考えるのが、『大人の知恵』というものだろう」(p176)。
…というような、非常にバランスよくまとめられた好著だが、あまりにスマートなまとめ振りが気にかからなくもない。
まず、荻上がケータイ悪玉論を否定しようとするあまり、「ケータイがコミュニケーションを変えたという技術決定論は誤り。むしろ社会やコミュニケーションの変容がケータイを生んだのだ」式の発言を繰り返す点(p199、p231他)。この議論は根が深いが、少なくとも私としては、原因と結果の矢印を逆転させただけのこんな単純な話で押し切るのは無理だと思う。
また荻上は、この本の中で何度か「近代市民社会」や「啓蒙主義」の限界に言及する(p230、p232他)。しかし社会がネット利用のノウハウを蓄積することで後続世代への指導力を高めるべきという構想は明らかに啓蒙主義的だし、ネットの特性を把握して制御するという発想には主知主義的な響きがある。また、いじめ対策として学校に警察を導入せよという主張も、子供にも社会的な義務を課すという意味で自己決定論的と呼べるだろう。
この点は、『リアルのゆくえ』での東浩紀の「(ネット上での情報量の増大に対し)リテラシーの発想では対応は不可能だと思います」(p222)、「人びとがネットで好き勝手なことを流す権利は、教育では止められない」(p223)という発言と比べると、より鮮明になるかもしれない。東の場合は、あえて情報の「誤配可能性」を確保する立場に立つわけだが、セキュリティ向上に関心を持つ人びとが東と同じ現状認識に立った場合、出てくる結論がフィルタリングでありゾーニングである可能性は高いし、その有効性は荻上が言うほど低くないだろうと思う。
・「ネットいじめ」対策ではなく、あくまでメディア論
著者は、「学校」の非公式サイトを「学校勝手サイト」とし、マスコミが
センセーショナルに報道する、全体から見ればごく一部の、荒れた
「学校裏サイト」とは区別します。
▽学校勝手サイトの実態
・継続利用率は全体的に低い
・主目的は情報交換や交流などであり、「悪口」を目的として挙げる者は相対的に少ない
・すべてが「裏化」してはいない(「学校裏サイト=いじめの温床」とは断言できない。)
▽ネットいじめの特徴
・ネガティブな陰口が思いがけず本人に接続すること
・冗談から本気に、「ネタ」から「ガチ」に変わっていくこと
・教室内で行われているローカルなヒエラルキーに基づくコミュニケーションが常時行われうること
・その行為が学校や地域に限定されず、その発言を外部の者にも共有されてしまうこと
※これらはネットやケータイの普及によって突如誕生したものではないが、
ときにネットによって被害が拡大することもある。
『ネットいじめ』というタイトルが付けられているものの、
あくまでネットにまつわるトピックの一つといった扱い。
著者には、ネット周辺の事柄を総論的に取り上げたいという意図があったようで、
ネットいじめに対する綿密な「傾向と対策」を期待する向きには肩透かしかもしれません。
・「学校裏サイト」の誠実な分析
中高生のいじめの温床になっていると
メディアで批判される「学校裏サイト」。
その実際とはどのようなものか、
またネットいじめを解決する手段として
子どものネット利用を制限するだけでよいのかを 検証した本。
学校公式サイトではないサイト(学校裏サイト)の掲示板や プロフ、SMSなどのデータが多く扱われています。
目新しい情報はありませんでしたが、分析や整理の仕方が卓越しています。
現実の学校生活と密着した中で書き込まれる掲示板の
リアル生活への影響やリアルな学校内階層の上下を絡めて
分析しているところのもよかったです。
ただ、ネットに悪口を書き込まれても気にしない子は
クラス内でもともと発言力がある子だ、とかの論調は
スクールヒエラルキーを助長するかのようで
ちょっとひっかかりました。
とはいえ、子どものネット利用を制限するのではなく
リテラシーを向上させることで、
ネットいじめなどの解決をはかる方法論は
長期的な問題解決としても、
現実的解決法としても、評価できると思いました。