・この演奏では眠れないじゃないかっ!!
ご存知のように、ゴールドベルグ変奏曲は不眠ぎみのカイザーリンク伯爵(ドレスデンの宮廷駐在ロシア公使らしい)が安らかに眠れるようにバッハが作ったクラヴィーアの変奏曲です。ゴールドベルグとはバッハの弟子のチェンバリストで、カイザーリンク伯爵のためにこの曲を夜な夜な弾いていたところからこの曲名がついたようです。という成立事情があるのだから、この曲、聴いていたら眠くならないと。。。事実、カール・リヒターのチェンバロではなんとも言えないまったり感があって心地よく眠れるのです。私がグールドの名前を聞いたのは、ゴールドベルグ変奏曲つながりで。この1956年演奏のこの曲でレコードデビューし、非バッハ的、ジャズ的、奇をてらっているなどとあまり好意的な評価をもらえなかったようですが全世界に衝撃を与えた演奏家としてその後活躍したようです。凡人の私には、何故あのゴールドベルグ変奏曲がこのようになってしまうのか皆目見当もつきませんが、カイザーリンク伯爵の『おだやかでしかも陽気な曲』というリクエストにグールドなりに応えているのではないかと思えます。とても楽しく力強いタッチの演奏で一瞬たりとも眠ることを許しません。あれっ?これって眠るための曲じゃなかったのかな。。。元気が欲しいときは56年盤、落ち着いてゆっくり聴きたいときは81年盤といった感じで聴いていますが、この56年盤のほうが私は気に入っています。
・T型フォードに匹敵する名盤
以前のレビ消されてる…誰だ。笑
なので、また似たようなものを書く。
1970年代初頭以前の、乾いてパキパキしたグールド節が好きなら、再録音盤よりも価値は高いでしょう。
再録音盤は、今となっては「グールドらしくない」演奏ですから。
「グールドらしさ」を本人が書き換えようとしている時期に、他界してしまったからね。
(私は、基本的に落ち着いた構えの再録音盤の方を選びます)
このモノラル旧録音盤は「ポップスを聴くノリノリなノリで聴ける「クラシック音楽」」。
中流ご一家に一台ずつオーディオセットが行き渡った、その時代のニーズに合致した音楽。
「パパでも分かるクラシック」「ボクでも分かるクラシック」みたいなもの。
オリンピックやら万博やらに向けて、一億総中流の気運に盛り上がる日本でも「いやー最近、クラシックにハマってまして」とか「普段は○○聴いてるけど、クラシックもいいよね」と、当時のカラヤンやバーンスタインやグールドが広まって行ったのは頷ける。
既に会得してるノリノリな聴き方で、OKなんだもの。
しかし、シェプキンやシュタットフェルトといった、ノリの点でもグールドの旧録音を凌駕した演奏が聴ける現在、大衆に対するこの盤の役目は終わったように思う。
たまにはヘタウマっぽいゴールドベルクを聴きたいのなら、こちらより高橋悠治の再録音盤の方がスキがなくて良いですよ。無手勝流に見えてその実、スキがない!!
◆グールドファンやレコード文化史に詳しくなりたい人なら、上の私の低評価を気にする必要はない。
あなたの博物館のコレクションに所蔵する価値が十二分にある「名盤」。
その切り口なら「★★★★★」である。
そして私も、所蔵している者の1人である。
現代の北島の泳ぎに魅了されつつも、古い白黒モノラルの前畑を観て感動する感覚は分かる。
しかし、他を見ず前畑ばっかり観てる感覚は私には分からない。
・テレビで見て
NHKの番組で見て、よくて購入。予想を裏切らない出来に大満足。モノラルなのにグールドの息づかいが伝わってくるようです。おすすめ!
・聴く者を眠らせないゴールドベルク変奏曲
このアルバムを初めて聴いたときには、その良さがよくわかりませんでした。そもそもゴールドベルク変奏曲はチェンバロで演奏するのが普通でしょうし、チェンバロ独特の耳に刺さるような音色と、眠りを誘うような反復の多い変奏曲とのバランスをとりながら時間を進めていくのがゴールドベルク変奏曲だと思っていました。
このアルバムでグールドは、ゴールドベルク変奏曲をたった約30分で、しかもチェンバロでなくピアノで、さっと弾き抜いています。チェンバロのツンツンした音色もいいのですが、ピアノの音の余韻がよく残る滑らかな音色で表現するゴールドベルク変奏曲もなかなかいいものだ、と最近気づきました。特に28番目の変奏曲の表現は、私のお気に入りのひとつです。聴こえる旋律はシンプルなのに、楽譜上は少し複雑でいろいろな音の装飾を施してある曲が、ショパンの作品にあるのを思い出しました。
このアルバムの作品に魅了されるのは、彼の若さゆえに出来る、冒険にも似た勢いのある演奏が原因なのかもしれません。
・まさにグールドベルク!
私はグールドのゴルトベルク変奏曲(新録音)をはじめて耳にしたときかってない衝撃を受けた。そしてこの旧録はさらに上をいっていた。彼の強烈なキャラクターもさることながら、音楽もまた彼独自のスタイルがそのままピアノに反映され聴き手の心を引きつけてやまない魅力を醸し出している。「この旧録に出会った事は幸運だった。」そう言えるのは私だけではないと思っている。